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妊娠、出産レポート2

妊娠レポート1 (NO20)

さいたま市 39歳  鍼灸治療妊娠までは2ヵ月間、その後継続治療 
2006.8月妊娠 2007. 3.3報告
私の妊娠レポート

たくみ堂 河村先生

  妊娠をして、無事出産するにはこんなにも大変なのかというのが率直な思いです。
  医学が進歩したとはいえ、妊娠出産は本当に私たちが感知し得ない領域だと実感しているところです。
赤ちゃんはお母さんの胎盤を通してしか栄養をもらうことが出来ないのです。
もちろん薬で赤ちゃんは成長することは出来ません。何か問題が発生してからでは取り返せない状態になります。
母体の管理がいかに重要かということを今回レポートを書くことによって、読んでくださった方にご理解いただければと思います。
自分の体の状態を正しく整え、赤ちゃんのためのよりよい母体作り、環境作りをして母親になる喜びを一緒に分かち合いたいと思います。

  私の最初の妊娠は、不妊治療の末、2回目の体外受精で妊娠できました。
妊娠レポートは最初の妊娠をしてからの体験をまとめてみました。

今2度目の妊娠で9ヶ月までくることができました。私の場合、西洋医学だけではここまで来ることが出来なかったと思います。
最初は半信半疑だった東洋医学…。鍼治療…。精神的に落ち込んでいた時期に頭で理解するよりも先に、自分の体が素直に反応し、
結果を出すことが出来て本当に感謝しています。言葉では言い尽くせないくらいにびっくりし、喜びをかみしめています。
後は数週間後に控えた出産に向けて穏やかに過ごしているところです。

<最初の妊娠、出産そして…>

最初の妊娠は27週で出産しました。赤ちゃんの体重は334グラム…。
とても辛い出産となりました。2度目の体外受精でやっと授かった命。流産の危機をどうにか乗り越え、
安定期に入った22週目に医師から辛い宣告を受けました。
診断名は「子宮内胎児発育遅延」「重度妊娠高血圧症候群」。原因は不明で、私と赤ちゃんをつなぐ
胎盤の機能がとても悪く赤ちゃんに栄養がいっていいない。との事なのです。
他にも悪い症状の列挙…何を言われたか覚えていません。
 
選択肢は二つ。一つは、今すぐこの妊娠を終わりにし、次回の妊娠に賭ける。
もう一つは、妊娠を継続させ出来る限りお腹の中で赤ちゃんの成長を待つ。
但し、母体に異常がでればすぐに妊娠を終了させるとの条件付のものです。私たち夫婦は後者を選択し、
食事とトイレ以外はベッドの上という入院生活が始まりました。

しかし、27週目に医師から「お腹の中で赤ちゃんが成長していない、生きて出すにはすぐにでも帝王切開で出産するしかない」と言われました。そして出産。334グラムの小さな小さな女の子でした。
そして63日間小さな命は800グラムまで成長し、短い人生をまっとうしました。

 お腹の中で育たなかった原因は、消去法で残ったのが私の高血圧です。
ただ何故高血圧になったのかは原因不明で何かの結果として高血圧になったというのです。
また高血圧だけではこんなに悪い症状は出ないというのです。他にも原因があるはずと言っていましたが、 それが何かは特定できないとの事なのです。

最初の妊娠の受精卵がたまたま染色体なり遺伝子レベルで何か問題があるのであれば、次回の妊娠では希望 が持てると言われました。そうでなければ、また同じ事を繰り返す可能性が高いらしいのです。
今後に備え、私に出来ることは何かと聞いても、次回妊娠してみなとわからないそうで、事前の治療法がないというのが現状でした。とにかく分からないことばっかりで頼みの綱の医師も次妊娠できたら来てみてくださいというのみでした。

<たくみ堂との出会い>

娘の死から立ち直ることも出来ず、また今後どう生きていくか希望もなく、誰とも会わずに生活を送っていました。
私自身、至って元気でどこも悪い所はないのに、赤ちゃんが育たないのは何故…?
不妊治療をクリアできれば後は赤ちゃんが普通に産まれて来るものだと思っていたのに…。

私の命を守るために、とても早く子供を産んでしまい申し訳ない気持ちでいっぱいで、精神的にもどん底でした。
今でもどんな毎日を送っていたか覚えていません。

今後どのように生きていくか…?
不妊治療を再開し、仮に子供を授かったとしても、また同じようなことが起こる可能性は高いのです。
それよりも子供を授かることが出来るかどうか…

そんな思いをするなら、夫婦二人の生活を送るように頭を切り替えることも考えました。
でも、どうしても諦めがつかず、不妊治療をしている病院に受精卵の冷凍保存があることもあって、もう一度治療を再開したいと思うようになりました。

やっと生きる目的を持ち始めた頃、ようやく友人と話がしたいと思うようになり、外出出来るようになりました。
そんな時、その友人からたくみ堂のことを聞きました。

西洋医学では予防法も治療法もわからず八方ふさがりの心境だったので、すぐに先生にメールをさせていただき、翌週には先生とお話させていただきました。それは娘が亡くなってから約5ケ月半後のことでした。

<たくみ堂での治療>

娘が亡くなり、母乳を薬で止めてから約4ヶ月後の5月やっと生理がきました。
帝王切開をしていたこともあり、不妊治療の病院へいつごろから通っていいか相談に行った所、生理がくればいつでも開始できるとのことでした。帝王切開の傷も、次の妊娠まで3ヶ月あいていれば医学的には問題ないとのことだったので、2度目の生理の後(7月上旬頃)、不妊治療を再開しようと思っていました。

6月中 6月中旬…初診。診断は「お腹が硬く、冷えている」との診断でした。
不妊治療の再開も、お腹の状態が良くなってからのほうがいいとの事で少なくとも3か月間は鍼治療をしてからのほうがよいとのアドバイスをいただきました。
  年齢のことを考えるとすぐにでも不妊治療を再開し、妊娠のチャンスの回数を増やしたいというのが、私の考えでした。しかし、この考えは自分のことしか考えてなく、子供のことを全く考慮していなかったのです。
  先生にそのことを指摘され、なんと自分勝手な考えだったのだろうととても反省しました。

 母体の状態が悪いまま、不妊治療を再開してもよい結果はでないし、再度、前の妊娠のような悲しい思いを繰り返してしまうかも…という恐怖があり、まずは先生のおっしゃる通り鍼治療に専念しようと思いました。

 この日から週1回、鍼治療のために通院し、自宅でも生姜温灸を開始しました。
  自分の体の中でどのような変化をしているのか実感がわかないまま、1ヶ月がたちました。

7月1 7月1日…2度目の生理がきました。鍼治療も4回目となり、先生から「お腹も少しずつやわらかくなっているよ」
  とのお言葉をいただきました。実感としては、自分の体の変化は感じられなかったので、
  お腹の改善については半信半疑の状態でした。ただ、生姜温灸をすることによってお腹がポカポカし、毎日お通じがあったことは確かでした。

8月上旬…生理が予定日より遅れているため市販の妊娠判定薬にて確認したところ、妊娠していました。
  今まで、タイミング療法、人工授精など何度おこなっても良い結果が出なかったのに、
  今回結婚13年目で初めて自然妊娠することが出来たのです。妊娠がわかるまで鍼治療は8回行いました。
  次の生理がきたら、先生の了解を得た後、また不妊治療に通おうと思っていましたので、こんなに早く自分の体が変化していたとは本当にびっくりしました。早速懇意にしている産婦人科へ受診し、妊娠の確認をしてもらいました。その産婦人科医も神がかり的な妊娠だととても驚き、喜んでくださいました。
  改めて母体作りの重要性を実感したところです。

 9月上旬…都内の大学病院にて、不育症の可能性の有無について血液検査をしました。
  そしてわかったことは、やはり不育症の一種であることが判明しました。
  私の場合、前回早い段階で血圧が上がったのは、妊娠をすることによって血液の中で血小板を溶かす酵素の
  値がとても少ないとの事なのです。要は「血液中に血栓を作りやすくなり血流が滞る。
  そこで血圧を上げ血液を流すようになってしまう」というのが原因だったそうです。
  血栓のできる場所が胎盤だったりすると、胎児に栄養が行き届かずお腹の中で成長出来なくなってしまうのです。
  ただ、この病気は治療法がなく、予防法しかないらしいのです。
  薬による管理をおこない、血栓を出来にくくすることしか方法がないそうです。
  やはりなぜそうなるのかは不明らしく、この症状は妊娠をしてから血液検査をしてみないとわからからないそうです。
  血栓ができてしまうと薬物管理も有効ではないらしいので、あくまでも出来ないように予防するしか方法がないそうなのです。月1回の頻度で血液検査を行い、経過を診ていきながら薬物管理をすることになりました。

 この病気は妊娠前期よりも後期になればなるほど症状が悪くなる可能性が高く、流産の危機も含め、安定期に入る7ヶ月頃から管理入院の可能性もあると言われ、とても不安な気持ちになりました。

早速、先生にこのことをお伝えし血流をよくしてもらうお灸の方法を教えていただき、自宅で両肘、両膝付近へのお灸を開始しました。そして安産灸の開始。いよいよ妊婦生活の始まりとなったのです。

  <その後>

  流産の危機の時期も、無事に終える事が出来、つわりなどの症状もほとんど無く、特記することは特別ないくらい
  順調に進んできました。一番の問題は私の精神的な不安だったかもしれません。
  どうしても前回のトラウマが抜けず、毎日が不安で不安で…。大学病院での検診の2.3日前からナーバスになり、
  家から一歩も出ることが出来ませんでした。もし、また何か最悪の事態が起こったらなど、悪い仮定ばかり想像し、
  本当にひっそりと毎日を送っていたような気がします。
  先生は出産まで毎週診てくださるとおっしゃっていただき何よりも精神的に安定できました。
  先生のアドバイスでアセロラ酢と玄米ご飯、そして足湯も実行してきました。
  そして、持病の頭痛などを訴えると早速鍼をしていただき、楽になることができました。

   <現在>
  妊娠33週目になりました。もうすぐ34週になります。自宅での毎日のお灸、毎週先生に施していただく鍼治療の
  お陰で、振り返ってみれば何の問題もなくここまでくることが出来ました。
  大学病院での血液検査の結果も毎回良好、血圧の状態も安定、尿淡白や血糖・むくみも1回も無く、胎盤の機能や、
  赤ちゃんの成長も順調にきています。長期の入院生活も覚悟していましたので、9ヶ月に入るまで自宅で普通に
  生活できるなんて思ってもみませんでした。

 毎週、鍼治療をしていただきながら先生の優しい笑顔と「大丈夫だよ」というお言葉をいただきなんとかここまで
  来ることが出来たと思っています。先生がおっしゃった言葉で忘れられないのが、
「お母さんが不安になるとお腹の赤ちゃんにも伝わるよ。もっと妊娠生活を楽しんで!」という言葉です。
  精神的にもとても救われました。また、同じように妊娠した方を紹介してくださり、おしゃべりしながら楽しい時間を過ごしながら帰ることが出来ました。

 母体管理をしながら精神的にも安定した毎日を送る、一見簡単そうでなかなか難しいことだと思います。
  不安になったときに身内以外に話せる相手がいると思うと心強く、本当に精神的に安心できました。
  たくみ堂の先生はじめ皆様には本当に感謝しています。

 前回帝王切開だったので、今回もやはり帝王切開となります。残り数週間となりましたが、まだまだ不安との戦いです。
  ようやく赤ちゃん用品も買い揃えることができ、退院後の生活を考えるようになりました。
  赤ちゃんと一緒に退院をして、わが子の重みを実感したいと願っています。

 拙い作文ですが私の事例がどなたかのお役に立てればと思います。
  治療中の皆様にも良い結果があらわれますようお祈りしています。

 
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妊娠レポート2 (NO19)
北区 35歳  鍼灸治療妊娠までは1回、その後継続治療 
2006.7月妊娠 2007.2.7報告
私の妊娠レポート

体外受精に挑戦するも、うまくゆかず気持ちばかりが焦ってしまいましたところ

   Kクリニックでの待合室で隣の方が「たくみ堂」の話をされていて耳をダンボにして盗み聞きしてしまいました。
   すごく効果があるとか 

  早速ネットで調べてお電話しましたら予約状況を確認して折り返し電話して下さるとの事。

  待てども電話が鳴らずたくみ堂休日の月曜日にやっとお電話がありました。  

  たくみ堂の扉を初めて叩いた時に、めでたくご懐妊された方が先生にご挨拶されており

  その様子を見ながら何処からともなく沸いてくる「自分も妊娠出来る」という気持ちが

  あったのを今でもはっきり覚えております。

  そして、妊娠する事が出来ました。それも1回目お鍼の後でした。

  こんな私を妊娠させて下さいました経緯をまとめてみましたのでご覧頂けますか?!

  妊娠出来る迄の経緯

l 平成15年 繋留流産 10週5日で心拍停止にて子宮内掻爬。

l 平成16年 T大学病院でタイミング治療。結果でず転院。

l 平成17年 H病院:人口受精にて、子宮外妊娠で左卵管摘出

  H病院:初体外受精

        HMG225単位連日注射で4つしか採卵出来ず。

        採卵後受精確認するも1つも受精せず。

l 平成18年 体外受精のカウセリング「○○クリニック」受診。

 Kクリニックに転院

     3月○日 排卵済みで今回は見送り

     4月○日 2つ採卵するも1つは多受精でNG、1つは受精

  △日 胚盤胞迄培養するが分割ストップ

     5月○日 2つ採卵。2つ受精確認胚盤胞迄培養

       △日 1つの胚盤胞(G2:5日目胚盤胞)移植

          もう1つは胚盤胞迄分割が遅いと言われる。

     6月○日 判定日 (−)マイナス 

◎ 日 たくみ堂でお鍼して開始。

   初めての生姜温灸を朝・晩二回実行する。

△ 日 もう1つ凍結した6日目胚盤胞を移植

     7月○日 判定日 + 

       ◎日 着床を促すお鍼。

△日 胎嚢確認 4.2ミリ。小さめと言われる。

◎日 着床を促すつぼにお鍼。置き鍼有り。

◇日 心拍確認

◎日 着床を促すつぼにお鍼。

     8月吉日 9週3日でKクリニック卒業。個人産婦人科に転院。

   繋留流産や子宮外妊娠もしていたので妊娠後の様々な困難をも予想しておりましたが

  先生はとても慎重にやって下さり、無事安定期に入る事が出来ました。

  体外受精では母体作りをせずに妊娠させるということを優先されてしまいがちです。

  私の場合は先生のお鍼が無ければ今日という日が迎えられなかったと思います。

  子宮環境を整える事、そして妊娠には絶対に欠かせない母体作り。

  私の身体を診ながら赤ちゃんも同時に健康にして下さった奇跡のお話です。

   妊娠後の経緯

      毎週お鍼を継続する事で前回流産した時の週数を越え、とりあえず一安心。

      かかさず生姜温灸を朝・晩二回実行。

12週

  もう悪阻が終る頃なのだがまだ気持ちが悪い。

  悪阻緩和のつぼにお鍼。

13週

  臀部右が痛くなり、子宮が大きくなる痛みだと説明を受ける。

  腰にお鍼で、痛みが和らいでくる。

  個人病院にて喉が腫れているので甲状腺の病気の可能性を指摘され

  血液検査をする。

14週

  通院する日に臀部が痛み電車の中で歩けず。

  お鍼にて痛みが解消。

  同じKクリニックに居た方を紹介して下さりお友達になれました。

  帰り道が途中迄一緒でしたので色々お話させてもらえました。

15週

  甲状腺の病気の疑いがある為、大学病院にて精密検査。

  甲状腺のお話を相談した所、甲状腺のツボにお鍼をして喉の腫れが少しずつ引く。

     この週数にくれば赤ちゃんの生命力があるので一応大丈夫だとおしゃってもらえ安堵。

16週

  大学病院での甲状腺エコー、血液検査結果は

  数値が下がり始めて、甲状腺の張りが少なくなったので薬は服用せず要観察。

  部分前置胎盤だと診断されるが、胎盤は上がる可能性はあるのでこちらも要観察となる。

17週

  毎週、血流を良くする鍼+甲状腺のツボにもお鍼。

  この頃から少しずつお腹の膨らみが解るようになる。

  今迄、期待すれば突き落とされの繰り返しなのでどうしても色々な事に構えてしまう自分が居ました。

 身体が変わってきているので、そろそろ妊婦用品を・・・と思いつつ

 購入して何かあったらという葛藤。

 勇気を出して、ベ○ザラスに主人と一緒に行きマタニティ用品購入。

18週

    大学病院で再検査の結果。数値が良くなったので甲状腺の薬は服用しなくても良いとの診断。

    今週から安産灸の指導を頂きました。

    指導にはスタッフの方が見本にご自分の腕にお灸をすえるので、まさに身体を張ってのご指導でした。

  スタッフの方の腕には沢山のお灸の跡があり、「この跡の数だけ皆さんが無事ご出産されてます」との言葉に感動しました事!!!

  通常は安産灸が始まりますと平均月1回ペースになるのですが身体がまだ

  不安定な感じがしておりましたので2週間に1度のペースでお願いしました。

  多くの不妊症の方が順番待ちをしているのは承諾しておりましたが

  快く「出産ぎりぎり迄診ます」と仰って頂きとても救われた気持ちになりました。

22週

   大学病院では、甲状腺はパスしたものの出産後病気が再発する可能性があるので出産後も必ず精密検査をするように指示される。

 この頃から尿蛋白が出始める。継続して甲状腺のつぼに鍼。

 ある日、先生に「胎教に良い事している?」と聞かれ、一瞬言葉に詰まりました。

 「心地良い音楽は聴くようにしてます?」とお答えしました。

24週

 先生にだいぶ喉が柔らかくなって来たと言ってもらえる。

 隔週での通院は、最初に仰向けで手足にお鍼とお腹にころころ鍼。

 次に右向きで背中と腰、そして首の凝りのつぼ

 最後に左向きで背中と腰、そして左側の首のつぼ。

 かなり時間をかけて施術して頂きました。

25週

 個人病院と大学病院の掛け持ち通院が9月から続いており

 この頃には個人病院でも尿蛋白がかなり検出され食事指導が入ったり

    大学病院でもこのままですと妊娠高血圧症になる可能性が高いと指摘を受けてしまいました。

 従来のお鍼プラス尿蛋白のツボにもお鍼して頂く。

    27週

 大学病院でも尿蛋白が出てしまい、継続して尿蛋白のつぼに施術。

 胎盤も上がってきたので、普通分娩で大丈夫と大学病院で診断。

 36週で卒業する方が多いとのお話でしたが

 お産寸前迄診て欲しい旨伝えましたら、笑顔で「いいですよ」と、また我がままを叶えて下さいました。

29週

 色々悩んだ末、甲状腺や蛋白を考慮して大学病院での出産を決めました。

 そして2006年最後の検診でしたが・・・

 なんと!なんと!尿蛋白がマイナスになりました。

  河村先生にその旨お話しましたら、非常に喜んで頂き皆様がこんなにも愛情を注いで下さるなんて幸せな子だろうと。
2006年の幸せな年締めでした。

3   31週

 お腹も大きくなり胎動も活発で私に似て夜行性の様です。

 初めて、先生の手の中でもごもご動きました。

 先生も「あっ!動いたね」と笑みを浮かべて言って下さり、いつもの様に

 暖かい魔法の手で施術して頂きました。

 身体も大分良くなったと感じておりましたが、やっぱり未知への不安が残り

 継続して診て下さる様お願いしました。

 「これから毎週がいいです。」と、

 いつもの笑顔で「いいですよ」仰って下さりました。

 
  何とかここまで来ましたが、やっぱり出産という未知への不安があります。

     辛い経験を重ねてしまうと、どうしても自分の気持ちを防御してしまう傾向があります。

     きっと大丈夫!でも・・・何かあるかもしれない。

     先生やスタッフの方々にお会いすると心のもやもやが解消されるのです。

     時々はお友達とも会えるので、それも楽しみ♪    

     お鍼後にお友達とお茶出来て、楽しい時間も過ごせます。

 
ここまでの道のりは長く感じました。

途中何度も何度も不安に押し潰されそうになりました。

その不安を先生はいつものよもやまの話の中で取除いて下さり

たくみ堂を出る時には、自然と楽な気持ちになりこのお腹の子の為にも

体調管理をしようという気持ちに変わってきました。

何回か、同じKクリニックを卒業されて出産間近の方とも会わせてもらい

大きなお腹を撫でる事でご利益を頂戴き、またお友達も紹介して下さり

帰りの電車でお互いの不安を話す機会にも恵まれました。

安産灸では、少しばかり刺激的な熱さでもぐさを小さくしてしまった所安産灸に

なっておらす、優しいお叱り?を受けた事もありました。

お蔭様でその刺激により、お腹の赤ちゃんがとても元気にしていると実感しております!

今では安産灸していると、お腹の中で元気にダンスする赤ちゃんがおります。私の赤ちゃんは「ダンシングベビー」かな。

そんな私も9ヶ月目を無事迎える事が出来ました。

このグラビア並の巨乳でいられるのももうすぐ終わりかな???と思いつつ

母乳が出れば、もっと大きくなるかな?という期待しつつ

もうすぐ我子に会えるという喜びの気持ちが湧いております。 

先生やスタッフの皆様に支えられ、妊娠は奇跡の連続である事を実感し

このプロセスの中で親になれる喜びも教え頂きました。

この喜びを是非皆様にも体験して欲しいと強く願っております。

一日でも早く多くの方々が

母になれる日が来ますよう念願しております。

駄文ではございますが、少しでもお役に立てればと思っております。

皆様、有難うございます。出産迄、もう少しお願い致します。

 
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妊娠レポート2 (NO18)
藤沢市 30歳 鍼灸治療26ヶ月 2006.6月妊娠  2006.12.9報告
私の妊娠レポート

たくみ堂 河村先生

  ★不妊治療のはじまり

   私は月経が始まった時期は人並みでしたが当初よりとても不規則でした。しかし、月経が
  始まってしばらくは落ち着かない人も多いということを聞き、特に気にしていませんでした。
  結婚後すぐより環境の変化もあってか月経が全くとまってしまい様子をみていましたが、
  1年経っても再開する気配がないのでさすがに不安を覚え1度病院へ。この時はまだ新婚
  で24歳と若かったせいもあり本格的な治療は考えてませんでした。そのまた1年後、そろ
  そろ赤ちゃんがほしいな〜と本気で思うようになり治療を始めることになります。

  @治療の経緯

  平成11年11月 結婚
  〃 13年 病院Aで治療開始(更年期外来専門だったため転院)
        (治療内容:薬で排卵誘発+タイミングまで)

  〃 14年 病院Bで治療開始(精神的に疲れ辞める)
        (治療内容:注射で排卵誘発+タイミングまで) 

  〃 15年7月〜17年9月  たくみ堂で治療開始

  〃 17年7月〜18年6月 病院Cで治療開始
        (治療内容:薬で排卵誘発+人工授精 3回目で妊娠)

   Aたくみ堂との出会い

   病院Bで注射で排卵誘発させる治療の際、卵巣過剰刺激症候群になり、3〜4周期とても
  辛いだけの治療が続きました。精神的に参っていた私は休息も兼ねて西洋医学での治療
  を辞め、他に方法がないか探していました。インターネットで調べていたら東洋医学での治
  療が目が入りました。私の両親が腰痛があったりすると鍼灸院へ通っていたし、中学の時
  東洋医学のことをある人から聞いていたこともあり抵抗はありませんでした。たくみ堂のホーム
  ページを拝見し少し遠いな〜と思いましたが、治療についての詳細な説明に納得し、院内
  の清潔さ、そして何より先生の穏やかな顔の印象に、ここでお世話になろうと決めました。

   Bたくみ堂での治療

   私の不妊の主な原因は冷えとのこと。それを改善するため毎週休みなくたくみ堂通いが始
  まりました。以下私が体質改善のため行ったことです。

  ○合掌気功法 ・・・ まず初めに先生に教わったお腹を温める方法。丹田に両手を当てると
              お腹がポカポカ温まり気持ち良いです。
             
  ○生姜温灸 ・・・ 毎日行いました。気持ち良い温度でお腹が温まります。

  ○なわとび健康法 ・・・ ほんの数回試しただけで断念・・・。

  ○按腹術 ・・・ 途中、合掌気功法からこれに変えるよう先生に教わり行いました。


  ○黒酢健康法 ・・・ 正直私は味に慣れませんでしたが、朝ウォーキング前に飲んでいました。

  ◎ウォーキング ・・・ 一番のお気に入り健康法でした。毎日職場までの道のり往復80分、雨の日
              以外悪阻で仕事を辞めるまで続けました。良い汗をかきます!

  ◎食生活 ・・・ とても興味があったのでナチュラル会で勉強後ほとんどの食材の見直しをしました。
塩は自然塩、砂糖は黒砂糖、味噌は天然発酵されたもの、白米を玄米、毎日梅干、
ほぼ毎日納豆、海苔、根菜中心の食生活に。これらの食生活のお陰で妊娠してから
も便秘に悩むこともなければ、貧血に悩まされることもありませんでした。主人は学生
の頃から健康診断で肝腎の検査項目に毎年引っかかっていたのですが、何とこの食
生活にしてから引っかからなくなったのです!!玄米をたくカムカム鍋はお勧めですよ。

  ◎拝毒半身浴+3枚靴下 ・・・ 真冬に良く行っていました。終わった後の爽快感はたまりませんでした。
特に腰から下がいつまでも暖かく快眠できます。

  ○軟蘇の法 ・・・ 難しくて続きませんでした。

  ○両手ぶらぶら体質改善 ・・・ 前後、左右100回1セット×5回まで増えると結構時間がかかったので
朝5時に起きて行っていました。

  ◎足湯 ・・・ 外へ出かけて冷えたときに行っていました。生き返る!という感じがしました。

  ◎ビワの葉温灸 ・・・ 生姜温灸から切り替えるように先生に教わり毎日全身に行っていました。本当に
気持ち良いですよ。

  (◎マークはお気に入りです。)

  2年間たくみ堂へお世話になり、体質改善の方法も自分なりに身に付けられたので病院Cでの治療を
  開始し妊娠に至りました。

  C治療を振り返って

   病院では先生がしてくれた治療に対して結果を待つのみでしたが、たくみ堂では私自身も治療に参加し、
  先生と共に赤ちゃんを授かることに向けて努力していったという満足感があります。
  先生に教わったことは大変で面倒だな・・・と思ったものもありましたが自分なりに吸収し続けてこれた
  のも、いつも私に対して全力投球して下さっていることを感じることができたからです。だから私もそんな
  先生に一生懸命応えよう、応えないと失礼だと頑張れたのです。
  私の体はなかなか頑固な冷えが取れなくて、自分が当初思ってたよりもかなり時間がかかってしまい
  ましたが、その時間は無駄ではなかったと思います。

   最後に何より信頼できる河村先生に出会わせてくれたことに感謝しています。
  本当にお世話になり、ありがとうございました。
  これからも先生の素晴らしい技術により、たくさんの患者さんに赤ちゃんが授かることを願っています。

 
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妊娠レポート2 (NO17)
東京都 38歳 鍼灸治療14ヶ月 2006年4月妊娠 2006.11報告
私の妊娠レポート

 河村先生

いつもお世話になりましてどうも有難うございます。
遅くなりましたが、妊娠レポートをお送りさせていただきます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

私は週に一度たくみ堂の鍼灸治療を受け、おかげさまで1年2ヶ月で
自然に妊娠に至ることができました。(結婚12年目)

・たくみ堂との出会い
妊娠に関する情報や方法はインターネット、雑誌、著書など世の中にあふれ、
鍼灸、漢方薬、高度医療など妊娠に至る可能性の道はいろいろありますが、
口コミ、評判、確率等を読み比べてみても、果たして自分に合うのかどうか
までは分からず、どれも決め手にはなりませんでした。「何を信じてどの道を
選べば良いのでしょう?」と思っていた時、たくみ堂のHPに出会いました。
読ませていただくと、他のHPや情報にはない生命に対する考え方や情熱、
また自然を愛する先生や奥様のご様子をとても心地よく感じて、是非診て
頂きたいという気持ちになりました。

・たくみ堂の治療
河村先生は、いつも限りなくゼロ「0」に近い感覚でお迎えくださり、毎週、
何事かで微妙に揺れている私の心や身体の変化を何気なく察知(診察)して、
ゆったりと鎮めてくださいました。それは心の在り方から少しずつ身体も伴い
変えていく、という東洋医学ならではの治療法ですが、私は一年通わせて
頂きましたおかげで、河村先生にしか出来ない「心の眼で診る独自の治療」を
数々体験することができました。

・治療の効果
心の変化と共に、確実に変わったのは身体の変化でした。帰り道、リラックス
した気分で「明らかに弛緩した」という身体の状態を実感したり、人並みと
思っていた生理や体調も確実に良くなりました。河村先生は、ゆっくり心と
身体が相関している事を気づかせてくださっていたのだと思います。

・不思議な出来事
「そろそろ準備も整う頃かな」という先生のさりげないお言葉をいただいた
数週間後、主人が夢で私のお腹に光が降りてくる情景を見たり、
知人の方から突然、「貴方におめでとうって言った夢を見たわ。」と言われ、
いつもと変わらないのに・・と思っていたら、2ヵ月後に妊娠が判りました。

・忘れられないお言葉
「僕は命を賭けて治療に取り組んでいます。」
私が一年間で一番つらい時期にたった一度だけ、先生はこのように
おっしゃられました。はじめて自分のすべてを忘れ、生命を授かる事
そのものについて考えてみようと思った瞬間です。

河村先生、御奥様、スタッフの皆様には尽きない感謝の気持ちでいっぱいです。
これからもどうかよろしくお願い申し上げます。

 
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妊娠レポート2 (NO16)
埼玉県 37歳 鍼灸治療6ヶ月 2006年2月妊娠 2006.10.18報告

たくみ堂・河村院長先生

  お世話になっております。出産予定日まで残すところあと2週間になりました。
  安産灸のおかげでしょうか、お陰様で何のトラブルもなく産休までしっかり仕事もし、
  私生活でも自宅の大改築などをこなしながら多忙な日々をいたって順調にすごさせていただきました。
  そうした感謝を込めて、私の妊娠レポートをご報告させていただきます。
  私もかつてたくみ堂の「妊娠レポート」を読んでやる気になりました。
  何度も繰り返し読ませていただき、いつか私も妊娠レポートを書いてみたいなと思っていました。
  ちょっと長いかもしれませんが、書きたいように書いてしまいました。

私の妊娠レポート

 私はネットでいろいろ調べてたどりついた「たくみ堂」のHP。よさそうな気がして足を運んで、
それからは毎週通うのが楽しみに。
  通い始めてしばらくして「見通しが付いてきたね」との先生のお言葉でますます嬉しくなって、
その4ヶ月後には待望の赤ちゃんが私のお腹に!
 
  ●「女性は7の倍数」●

 「女性は7の倍数」という言葉をどこかで聞いたことがあります。14歳で月経を迎
え、21歳から女性の最も美しい時期を向かえ、28歳で成熟。35歳からは女性の機能が
低下し、42歳にはプレ更年期、49歳では…といった説です。まさに私は14歳で月経を
迎え、21歳頃まではニキビなどに悩まされていました。月経やホルモンの状態が不安
定だったからでしょう。21歳の頃、恋愛をし、ニキビはうそのようになくなりまし
た。そして成熟期の28歳〜35歳の頃まで私は海外で生活をしました。東洋医学の根付
くアジアの隣国です。その国での生活体験が、たくみ堂との出会いにもつながってい
ます。

 ●東洋の健康法との出会い●
 
  東洋医学が生活に根付く国の人々の健康との付き合い方は、対症療法よりも、日常
生活での予防に重点がおかれているのが特徴だと思います。「医食同源」という言葉
がありますが、日常の食生活が基本です。薬膳料理というものもありますが、その他
滋養強壮のためのドリンクや漢方が巷にあふれていました。そもそも私はそういう東
洋の発想が大好きで、それで隣国での生活を始めたといってもいいくらいです。
  また、食生活だけでなく、サウナや指圧、マッサージなどが発達していて、週に一
度はマッサージを受けるのがその国の人々の健康法であり、習慣でした。私もそれに
習って、毎週コリをほぐし、発汗し、ストレスを発散していたのですが、これが日本
で今流行の「デトックス」になっていたのだと思います。最近日本でも「岩盤浴」が
話題ですが、マイナスイオンや遠赤外線など体によいものを発するからでしょうか?
隣の国では黄土・水晶・大理石・麦飯石などの鉱石を利用した多用なサウナがありま
した。私はそういうものによく反応する体質なのか、大理石の上で一晩寝ると翌日は
体から悪い気が抜けたようになり、リフレッシュした感覚で心身ともに爽快。肌もピ
チピチつやつやになったような気がしていました。
  そんな生活をしていた28歳〜35歳までの私は、海外生活でストレスが多いはずなの
に、肌、お通じ、生理、すべて絶好調でした。

●日本に帰国。とたんに不調●

 たまに日本に帰国すると、逆に便秘になる、といった状態でした。ものすごい人ご
み、街の騒音、エアコン、添加物の多い食事…東京は刺激とストレスがあふれてい
て、女性の身体はそうした環境にとても敏感に反応するようです。
また、健康状態は、便の様子のほか、皮膚の色艶と生理の状態によくあらわれると思
います。私は35歳前後で日本に完全帰国し、就職し、結婚したのですが、それを境に
とたんに太りだし、生理が少なくなり、便秘になり、顔のつやがなくなってしまいま
した。あらゆる意味で潤いが消えました。これは端的に言って、公私共々の「ストレ
ス」と「食生活」の悪化と、外国生活で習慣化していたマッサージやサウナでの「デ
トックス」ができなくなったこと、そして「35歳」という年齢があったのだと思いま
す。
  そして、一番気になったのが、戯画化された典型的な中年女性のようなお腹――
ぼってりとしたお腹の出っ張りでした。7年前の28歳の頃には想像も出来なかったよ
うな私のお腹。そして、背中や腕も肉襦袢を着ているような感じになってきて、おま
けに夏でもそんなに汗をかかなかった私が、どっと汗を流すようになり、生理も少な
い、これはもしや今話題の「プチ更年期!?」とあせったわけです。

●中国人指圧師の忠告●

 遅い結婚だったので、子づくりも最初から意識していました。仕事も猛烈に忙し
く、体調の変化も感じていましたので、結婚して1年経っても妊娠しないという段階
になったときに、私はさっそく行動を起こしました。体調がよかった「あの頃」を思
い出して、私が最初にやったのは、近くの「中国式指圧院」通いでした。本場中国人
の方が優しく接してくださり、コリをほぐしてくださいました。しかし、私の目的は
妊娠出産です。それを話すと、その中国の女性は、あなたの年齢で1年間妊娠しな
かったのなら、すぐ専門の大学病院などに行かなくてはダメだ、中国でもみなそうし
ている。というのです!のんびり構えていた私は、そこで初めてびっくりしたのでし
た。やはりみんなそうして何かしら手を打っているのかしら、と自分の認識のなさに
不安を感じたのでした。

●私の婦人科系トラブル歴●

 そういえば、私は、実は婦人科系のトラブルが多かったのでした。24歳頃「卵巣の
う腫」を患い、開腹手術をして左側の卵巣に出来た腫瘍を切り取っていました。卵巣
自体をとってしまうのではないから妊娠には差し支えないといわれていましたが、そ
れでも卵巣にトラブルがあったことは事実です。医者にも、いつまた卵巣が腫れるか
分からないから、定期健診を受け、妊娠の計画は早めに、といわれていたのでした
(が、深刻な問題とは思っていませんでした)。
  それから、32歳頃、今度は「子宮頸がん」の疑い。これは疑いというにはちょっと
オーバーな段階だったようですが、海外生活中で、その国はわりにすぐ手術をしてし
まう傾向にあったものですから、子宮口の炎症部分を取り除く、「円錐切除」手術を
受けたりもしました。
  そのほか膀胱炎やなんらかのトラブルで、数年に一度は思い出したかのように婦人
科にかからなくてはならなかった私だったのですが(他の理由で病院に行くことは
まったくない私でした)、日本に帰国後、忙しさの中2年余り検査らしいものをして
こなかったことを思い出し、まずは子宮ガンの検査でも、と病院探しに本腰を入れる
ことにしました。その頃は、妊娠するのには年齢の限界が思ったより早めに来てしま
うということや、多くの人が不妊治療に励んでいるという事実はまったく知らず、自
分の中にもそんな発想はまったくありませんでした。

●仕事で時間がない●

 仕事中心の私は、病院に行く時間もありませんでした。しかし、「思い立ったら吉
日」というか、やる気になったらじっとしていられない性格の私は、そうだ、連休中
に行こう、と比較的余裕のあったゴールデン・ウィークに、早速病院に行ってみよう
と決意したのでした。昨年の4月末の決断でした。
  そこで、ネットで病院を検索したのですが、考えてみれば、祝日は病院も休んでい
るわけで、しまった、世の中そうだったのだ、と今更ながらに気づいたわけです。
  しかし、ネットというのはいろいろな情報が出てくるもので、いろいろながめてい
るうちに、まず、「少子化」といわれているけれども、けっこう「不妊」で悩んでい
る方が多いのだなということに気づきました。「子づくりサイト」「不妊ネット」な
どがたくさんあって、私よりもずっと若い方が毎日ものすごく気を使って努力してる
ことを知り、ここでまた自分ののん気さというか無知さかげんに愕然としてしたので
す。うかうかしていては年齢のタイムリミットがきてしまうんだ!と気づいたのです
ね、35歳を過ぎて。たまにマスコミで騒がれる、60歳の女性が妊娠!とかタレントの
だれだれが70歳で子でもを!(これは男性ですが)などの報道を鵜呑みにしていて、
子どもはいつでも生めるものと脳天気に思っていたのでした。ところが調べてみる
と、子どもが欲しくても出来ない!という人がとても多く、またみなさん非常に努力
をしているのだということを知ったわけです。それまでは、むしろ避妊や性病に気を
使うことしか考えていなかったことを非常に反省しました。
  それで、改めて不妊治療で検索してみると、なんと年中無休、ゴールデンウィーク
もやっている病院があったのです。そもそも子宮ガン検査が目的だった私ですが、で
も、どうせ妊娠したいのだし、時間もないし、ということで、1年前のゴールデン・
ウィークは、不妊治療の専門病院を訪れることが私のイベントとなったのでした。

●連休中もやっているクリニック●

 快晴に恵まれたゴールデン・ウィークのよき日、病院に行ってみると、ものすごい
混雑ぶりでびっくりしました。ゴールデン・ウィークですからどこも賑わっているに
しても、それにしても私のように病院に来る人もいるのだなあと感心しました。高度
な体外受精の技術で有名なクリニックでしたが、体外受精というのは一部のお金持ち
や特別な人が高額な医療費を払っておこなっている高度な科学技術と思っていました
ので、これだけごく普通の人が順番を待っていることに、またまた驚き、認識不足を
感じた私です。
  受診の結果は、ホルモンの状態が悪いこと、卵巣の機能にやはり異常があること
(なんとかという専門用語をおっしゃっていましたが、超音波の画面には、古い卵子
が排卵されないで数珠繋ぎになってたくさん並んでいるのが見えました)、分泌物が
少ないこと、などを指摘され、さっそくお薬を処方され、生理周期をコントロールす
る治療システムに乗っけられてしまいました。
  こうして排卵日を測定しながら、夫婦関係をもつというタイミング療法というので
しょうか、これを2度ほど試みることになりました。しかし、結果はだめで、では次
にどうするか、ということになったのですが、他の病院などではステップアップ療法
などといって、人工授精を試みたり卵管の状態を検査したりといろいろ時間がかかる
ようなのですが、このクリニックの方針に納得していた私は、さっそく体外受精に
チャレンジしました。好奇心もあったと思います。

●初の体外受精●
 
  5月に受診して、2回の生理周期で排卵を観察したりしたので、初の体外受精を試
みたのは8月頃になっていました。まさか自分が、と思いながらも、好奇心やら高度
な科学に接する高揚感に包まれながら卵子を取り出すオペを経験。
  ベットで休んでいると、看護士さんから「今日は卵がとれませんでした」と言葉を
かけられ青天の霹靂!一体どういうこと!?なぜ!?と、これまでにない強烈な
ショックを受けました。ちゃんとエコーで膨らんだ卵胞を確認して、排卵間際にそれ
を取り出したはずだったのですが、医師の説明によると、エコーで確認できるのは膨
らんだ卵胞だけで、その中にちゃんと卵子が入っているかどうかまでは小さすぎて取
り出してみるまでは確認できないものなのだということでした。
  いくらお薬で排卵を促しても、中身が空っぽじゃあ意味ないじゃん!!と私は非常
にショックを受けたのでした。そして自宅に戻り、またネット検索が始まりました。

●大切なのは卵子の質●

 結局、体外受精もよい卵子が取れないと成功しないこと、強い薬物を乱用する不妊
治療では卵巣が疲弊して質のよい卵子が取れなくなること、年齢と共に卵子の質が落
ちること、妊娠の鍵は質のよい卵子が握っていることなどを知るようになりました。
  こうしてネットで学び、いろいろ調べているうちに、卵巣の本来の働きを取り戻
し、子宮の状態を整える鍼治療をおこなっているというたくみ堂様とネット上で出
会ったのです。もともと東洋医学の力を信じていた私は、自宅から2時間かかる遠方
であるにもかかわらず、さっそく駆けつけたのはいうまでもありません。

●お腹がかたい●

 鍼治療は海外の本場で経験済みでしたし、ものすごく気持ちよかったことを覚えて
いましたので、期待してでかけました。私を診てくださった先生には、開口一番「典
型的な不妊のお腹」と言われてしまいました^^。そういえば、指圧を受けていたと
きも、お腹がひどくかたい、と何人もの指圧師さんにいわれていたのを思い出しまし
た。自分では分からなかったのですが、ある指圧のおばさんは、「普通はこうじゃな
いんだよ、ほら」と、隣で気持ちよさそうにマッサージしてもらっているお嬢さんの
お腹を押して見せてくれたのです。するとお腹はへこみ、彼女は別に何事もないよう
に伸びきっています。私なんかはお腹を押されてもへこみはしなくカチカチで、そこ
をグイグイ押されると、イテテテテ…と体をよじらなくてはならない具合でした。一
体中に何が入っているのだろうという感じで弾力性もなく、ただ膨張して固まってい
るのでした。そして、このお腹の出っ張りに、先生は10kgとはいわないけれど、5kg
は減量するようおっしゃられました。もっともです。あの頃の私は、臨月の現在と同
じぐらいの体重をしていたのです。

●たくみ堂通いのはじまり●

 そうして週一でたくみ堂に通う日々が始まりました。鍼を施してもらうとすぐに極
楽気分になり、夢のような気持ちで眠ってしまいます。帰り道は、全身の細胞が活性
化したような気分になって、それは爽快でした。
  同時に始めたダイエットもものすごい勢いで効果を表し、昨年の8月半ばに初めて
たくみ堂に伺ってから、1ヶ月あまりで5kgは落としたと思います。方法は、たくみ
堂のHPでも紹介されているように、主食に発芽玄米を半分混ぜ、黒酢を毎日飲んだこ
とに加え、間食や油ものを一切やめて有酸素運動をしたことぐらいです。それと、勧
められた「生姜温灸」を毎晩しました。

●「生姜温灸」の効果●

 「生姜温灸」は、最初はピンと来ませんでした。でも3・4回で気持ちよくなり、
毎晩楽しみにするようになりました。スーパーで形のよい生姜を選ぶのも結構楽しん
でやりました。そうして毎日お腹を暖めているうちに、お腹がゴロゴロいうようにな
り、なんだかコリがほぐれるように、あれだけかたかったお腹が柔らかくなっていく
のを実感するようになりました。効果が出てくると嬉しくなって、毎晩熱心に暖めた
のですが、なんだか血流がよくなって、かたまっていた毛細血管が働きだして細胞が
目覚めてきているような気がしたものです。
  すると先生からも、「見通しがついてきたね」「あれ?お腹まわりのサイズが小さ
くなった?」などと嬉しい言葉を言ってもらえるようになったのです。通院5・6回
目ぐらいのときだったと思います。

●生殖機能の曲がり角?●

 その頃、クリニックのほうでは、もう一度体外受精を試みようとしていました。そ
して、今回は無事卵子も2つ採れ、受精も成功。そのうち分割が進んだ1つを子宮に
戻しました。一つの卵子は分割が止まっていました。そして、戻したほうも着床した
あと成長が止まってしまい、早期流産ということで掻破手術を受けることになってし
まったのです。
  このときが一番、たくみ堂の先生に電話やメールでご相談したと思います。でも、
たくみ堂に通い始めて2ヶ月もたたないで受けた体外受精だったので、まだ卵巣の働
きも本調子ではなかったのでしょう。8月につづいて、卵巣の老化を思い知らされた
瞬間でした、そして生殖機能が確実に老化していたのです!

●「びわの葉温灸」スタート●

 また、たくみ堂通いが始まりました。「あの時は、お腹があともう少し、という感
じだったんだよ。今度は大丈夫だよ」との先生の言葉をそのまま受け入れて、さらに
高度な温灸なのでしょうか?「生姜温灸」の代わりに勧められた「びわの葉温灸」を
始めることになりました。
  初めて体験するものというのは、どうもそういうことのようですが、これもまた最
初の3回ぐらいはピンとこなく、生姜のほうがよかったなあと思っていました。だか
ら生姜とびわの葉を一日交代でやったのですが、先生には「睡眠時間を削ってでもび
わの葉だけをつづけるように」と言われました。そうか、そんなにすごいのか、と思
い直し専念したところ、なるほど、これはスゴイぞ、とすぐに感じるようになりまし
た。びわの葉で巻いたもぐさ棒を押し付けると、お腹は盛んにゴロゴロと鳴り出し、
ポカポカと気持ちよくなって、まるで雪崩を起こすかのようにお腹の滞りが崩れてい
くような気がしました。そしてかつてのパンパンに張ったお腹からは想像もつかない
くらい、ぺちゃんこで、つきたてのお餅の様に柔らかくなった素敵なお腹になってき
たのでした。お腹って、こんなにへこむものなのね、と晴れ晴れとした気分。お腹の
細胞が活性化して、精気を帯びてきたような気がしました。

●妊娠のチャンスは意外に少ない●

 一度早期流産の処置をすると、2回の生理周期を休まなくてはなりません。こう考
えると、かつてはまた来た、というような感じでとらえていた生理も、妊娠のチャン
スとして考えると、指折り数えて待たなくてはならないものへと変わるのでした。次
回は2ヶ月後か…長いなあ、でもその間しっかり温灸でお腹を暖めるぞ!と気合を入
れた私でした。
  8月からたくみ堂に通いだして、そろそろ冬が訪れる頃になっていましたので、体
を冷やさない、ということにも気を使うようになりました。それまでまったく気を
使っていなかったことですが、飲み物は温かいものをいただく、食べものにはなるべ
く生姜を入れる、最近増えたかわいらしい毛糸のパンツや腹巻を購入する、お腹や足
元、首まわりを冷やさない、など、楽しみながらあれこれやってみました。

●運命の分かれ道?●

 こうして、3回目の体外受精で見事妊娠。現在に至っております。実は、今回の妊
娠でも、着床は確認されたものの最初のホルモン値が低く、発育の可能性は50%とク
リニックでは言われていました。ここまでは前回も到達していたので、またか…と気
落ちしてしまい、その翌日は、予約していたたくみ堂にも通う気力を失っていまし
た。そして、家でごろごろして、先生に、今日は疲れているので家で休みますと、お
電話したところ、とても強く叱られたのです。「今が一番大切な時、妊娠を持続できる
様に是非治療をしましょう。、多少遅れてもいいから慌てないでゆっくり来なさい!」
なぜか説得力を感じて、慌てて準備をし、たくみ堂に向かいました。
数日後クリニックに向かうと、「ホルモン値が10倍に伸びている。妊娠ですね」と
そっけなく(意外なような顔で?)言われ、私のクリニック通いはあっけなく卒業し
たのでした。
あの日、たくみ堂の先生に叱咤され、鍼を受けたことが50%の運命を好転させたので
しょう。あの日のことは忘れられません。

●安産灸にいたるまで●

胎嚢が確認され、心拍が確認されても、たくみ堂通いは続きました。早期流産を経験
しているので、まだまだ安心できない私は、むしろ以前より神妙な面持ちで通ってい
たと思います。先生からは、卵巣を活性化する温灸の代わりに、子宮の働きをよくす
るお灸を習いました。これも一日もサボらず、真剣にやりました。
いわゆる安定期、妊娠4ヶ月めまではたくみ堂には毎週通いました。そして無事5ヶ
月目を迎えてからは安産灸を教えていただき、月に一度だけ様子を見ていただきまし
た。
こうして、現在予定日まで2週間を残すばかりとなりました。安産灸のおかげでしょ
うか、産休まで人一倍仕事をしていましたが、なんのトラブルもありませんでした。
妊娠8ヶ月の重たい身体で海外出張もこなしたほどです。
たくみ堂様にはたいへん感謝いたしております。赤ちゃんが生まれる前からこんなこ
とを言っては叱られるかもしれませんし、子育ての大変さもまだ分かっていないから
かもしれませんが、出産後、落ち着いたらまたお世話になって、二人目を授かりたい
と希望をいだいております。
   
たくみ堂、河村院長先生、本当にありがとうございました。では、赤ちゃんが生まれたら、またご連絡いたします。 

 
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妊娠レポート2 (NO15)
杉並区 33歳 鍼灸治療8ヶ月 2006.2月妊娠 2006.9.11報告

河村先生
 
  先日は最後の治療ありがとうございました。
治療後先生に「今日で卒業だね」と言われ、毎回楽しみに受けていた治療ももう終わりなんだと、あっけなく思うとともに、
今まで大変お世話になった感謝の気持ちでいっぱいになりました。
遅くなりましたが、妊娠レポートをまとめました。

私の妊娠レポート

2004年2月(32歳) 結婚
2005年1〜4月 漢方薬を飲む
2005年6月 たくみ堂で治療開始
2006年2月 妊娠発覚
 
32歳で結婚してから、年齢のこともあり、すぐにでも子供を授かりたいと思っていましたが、なかなか授かりませんでした。
仕事をしていたため、結婚前の結婚準備期間から、体が急激に過労状態になって慢性化していきました。
結婚という急激な環境の変化に体がついていけてなかったのだと思います。結婚後も仕事を続けていましたので、精神的にも肉体的にも毎日限界を感じる日々で、いっそのこと何かの病気で入院するなどして体を長期に休めないと、体力は回復しないと思うくらいの疲れ具合でした。こんな状態では、子供が安心してやってきてくれるはずはありません。義母から妊娠しやすくなる漢方薬をもらってしばらく飲みましたが体調はよくならず、まずは体を元気にすることから始めようと思いました。
 
〜たくみ堂との出会い〜
体を元気にするために、インターネットで整体について調べていたら、たまたまたくみ堂のHPにたどりつきました。しかも妊娠に直結した鍼灸による 治療をもやっているとのこと。鍼治療などやったこともなく、痛いのではないかという恐怖もありましたが、妊娠しやすくなる畑作りを行うというたくみ堂の方針や、妊娠された方のレポートを読んでいるうちに、私もこちらで治療すれば妊娠できる位の健康な体に戻れるのではないかという確信を得ました。そしてすぐ予約申し込みのメールをしたところ、2週間後に治療ができることになりました。
 
初診で体調の悪いところはすべてお話して、お腹を診ていただきました。
お腹を触っていただくと、くすぐったいというか、「うっ」という感じでしたが、お腹がよい状態でないとこうなるそうで、
その日の治療を終えてもう一度触っていただくと、くすぐったくもなく平気になっていて驚きました。
先生のお人柄も、温厚なお父さんという感じで、お話してるだけで癒されました。
 
週一回の治療は会社帰りの7:00にいつも駆け込みでした。急遽残業があるといけないことも多々あり、ご迷惑をおかけしてしまいました。
毎日仕事帰りはヘトヘトでやつれた状態で治療に伺っていましたが、治療後はやはり少しからだが軽くなっているうようでした。
先生からも、最初から、治療後は「いいね。よくなってるよ。」と毎回言っていただきました。
始めて1,2か月程たつと、好転反応というのでしょうか?ものすごく体調が悪くなって、生理前から今までで一番つらい生理痛がきましたが、
その後はだんだん生理痛自体もつらくなくなって来ました。
毎日が大忙しで少しでも時間があれば睡眠をとりたい位疲れていたので、生姜温灸はさぼり気味でした。先生に相談すると、「無理しなくても、70点でも卒業できますよ」と言っていただけたので、できる日だけがんばりました。
たくみ堂に通うまでは、私の体調の悪いのを義父母に心配されていましたが、通いだしてからは、たまに会った時に、顔色がよくなったとか、表情が活き活きしてきたと言われるようになりました。私も徐々に元気になってきたのを実感してきました。
 
〜食生活〜
食生活は、先生のお勧めどおり、玄米食に切り替えました。玄米はもともと好きだったので、無理なく食べられました。
梅干1個、おちょこ一杯の黒酢、義母からもらったオタネニンジン耳かき一杯を毎日できるだけとるようにしました。
後、義父が勧めてくれたエビオスも疲労回復に役立ちました。
 
〜妊娠反応・出血〜
たくみ堂に通って半年位すると、本当に自分の体に子が授かるか不安になって、病院で不妊検査をしようかと思い先生に相談しました。
先生は必要ないと思うけどと、言ってくれましたが、調べてすっきりしたくて、自宅近くの総合病院で、一通りの不妊検査を行いました。
すべてを終了するまで2か月ちょっとかかったでしょうか?結果は特に異常がないとのことで安心いたしました。そしてその次位の排卵日後妊娠反応がでました。体がほてって冬なのに暑いと思って、たくみ堂治療日に先生に伝えると、「もしかすると妊娠しているかもしれないよ」といわれて数日後の妊娠発覚でした。
 
うれしい反面、初めての妊娠だったのと、仕事が繁忙期に入って体の疲れもひどかったので、流産しないか不安で仕方ありませんでした。
そうこうするうちに、数日で微量の出血がありました。河村先生に相談すると、念のために病院に行ったほうがいいとのことで、翌朝病院へ。
「あまりに妊娠初期なので、どうなるかわからない。様子を診ましょう。2週間後来てください。」とのことでしたが、次の診察まで待ちきれません。不安がそうさせたのか、数日後また微量の出血があり、また河村先生に相談、翌朝病院へ行きますが、「様子をみるしか、今は何もできません」とのことで不安な日々でしたが、その後出血もしなくなり、検診で心拍が確認でき、とりあえずは無事であることがわかりました。
それまで、出血する度に河村先生に、「赤ちゃんの生命力を信じてあげて」と言われ、とても勇気づけられました。
 
安定期に入ると、安産灸を教わりました。両足首の内側に、小さなお灸をすえるものですが、これが難しい!何度も先生やスタッフの方に教えていただき、何とか慣れる事ができました。
 
〜足の付け根の痛み〜

毎日の通勤はお腹が大きくなるにつれて本当につらいものです。駅の階段も毎日息切れしながら上っていました。
妊娠29週位からでしょうか、足の付け根が痛くて歩くのも困難になってきました。河村先生に相談すると、たくみ堂HPでも紹介されているびわの葉のこんにゃく温灸を足の付け根にするようにいわれたので、試しにやってみたところ、数日で良くなってきました。
 
〜めまい〜
産休に入って2週間位すると、めまいが1週間続きました。横になる時、寝返りを打つ時、顔を洗う時、高いところにあるものをとろうと顔を上げる時など、頭の位置を動かすことにより、めまいが起きました。一度めまいが起きると、30秒位はめがぐるぐる回っていますので、治まった後も頭痛が残り、常に軽い船酔い状態でした。先日、たくみ堂での最後の治療の時、めまいの症状も伝えたところ、すぐ治療してくれました。そして血の巡りがよくなったせいでしょうか、
次の日にはめまいはでなくなっていました。
 
〜その後〜
その後やっと産休に入ることができ、今は特にトラブルも無く、病院の超音波検査で赤ちゃんの成長を毎回楽しみに見守っています。
ここまで来れたのも、本当に河村先生とスタッフの皆様のおかげです。
最初にたくみ堂に通い出した頃を振り返ると、妊娠している今の状況は考えられませんでしたし、今まで夫とも疲れた顔で接していたと思いますが、今は子供を授かる喜びを夫婦でかみ締め、幸せで笑顔が多くなりました。妊娠前はよく、くよくよ悩んでいた事も、子供を授かる喜びは吹き飛ばしてくれます。こんなに嬉しい事があるんだもの、そんなちっぽけな事どうでもいいって思えてくるので不思議です。体調が悪かったときにマイナス思考だったのが今はプラス思考に変わってきたのには驚きです。新しい生命の力は偉大ですね。
 
妊娠レポートをお読みの皆様、途中挫折しそうになることもあるかもしれませんが、ご自分の体と河村先生を信じて、可愛い赤ちゃんを授かる日が来ますことを心からお祈りしています。

 
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妊娠レポート2 (NO14)
世田谷区 35歳 鍼灸治療2年4ヶ月間 2005、12、妊娠  2006,3,14報告

河村先生へ

? いつもお世話になっております。
? 前回から安産灸を始め、まだ慣れない手つきですが何とか毎日自宅でも続けており、体調の方も安定しています。
? 現在18週に入り、数日前から胎動らしきもの?!を感じるようになりました。
? これが胎動なのかーっとしみじみ感じるとともに嬉しさがこみあげてくる毎日です。
? 長期にわたる不妊治療でしたが、私の妊娠レポートが少しでも皆さんのお役にたてれば幸いです。

私の妊娠レポート

妊娠を希望するようになったのは4年前からです。しかし1年たってもその兆しは現れず、生理痛もひどかったこともあり、近所の産婦人科を受診しました。
検査の結果、私の方は黄体ホルモンが低く、主人も精検が悪いことが分かり、IVFが第一選択と診断されてしまいました。いきなりの不意撃ちで主人はかなり落ち込んでいましたが、夫婦共に医療関係者だったこと、そして
私の親友が長年不妊治療していたので、ある程度の治療の知識があったこともあり、早い段階でIVFにステップアップしました。

(1度目の妊娠)
  そして3年前、初めてのIVFでいきなり陽性反応!!
「えっこんなにも早く授かるなんてー」と喜んだのもつかの間、その後出血が続き胎嚢も確認できずついに流産と
いう形になりました。
もちろんショックではありましたが、前向き思考の私は「この分なら近いうちきっと妊娠できるはず!」と、ある意味その時は楽観的な気持ちでいました。
しかしその後2度3度治療を続けても全て陰性。産婦人科の先生も「あなたみたいなすぐ妊娠できそうなタイプがどうしてだろ?」と言われ、自分の中でも段々と自信がなくなっていったのです。
そんな時に出会ったのが「たくみ堂」でした。受身ばかりの治療の中で少しでも身体が良い方に向くなら始めてみようかな、そんな気持ちで河村先生にご連絡したのを覚えています。

(撃沈の日々)
  河村先生の治療をうけながらも、可能な限り不妊治療は続けてきましたが、何度チャレンジしても全て撃沈。
良い受精卵はそれなりにできるのですが、妊娠に全く結びつかないのです。
毎回河村先生に「今回もダメでした」と報告するのが逆に申し訳ない気持ちでした。
しかしどんな時も先生は明るく「身体は整っていて妊娠に近い紙一重のところまできてるはず。鍼の方法も研究するのでまた一緒に頑張って行こう」と温かく励まされ、本当に心強かったです。
そしてその頃先生より「微妙なところで病院のやり方が違うので、もっと細かくケアしてくれる不妊専門病院に転院してみては?」とのアドバイスをいただき、夫婦でもいろいろ話し合い「この病院でダメならあきらめがつ
くね」ということで転院しました。

(2度目の妊娠)
  その病院では杯盤胞移植が中心でした。しかし杯盤胞まで成長する確率はかなり低いとのこと。しかし鍼のお陰で良質な卵子ができ、昨年3月、初めての杯盤胞移植で妊娠反応が!!
一度目の妊娠(流産)から3年がたっていたので、本当に待ちに待った陽性反応でした。 
喜んで河村先生にご報告したのですが、次の検診で「妊娠ホルモン(HCG)の値が低いから、残念ながら正常妊娠ではないでしょう」との診断が・・・
その時は目の前が真っ暗になり「えっうそでしょう!どうして私ばかりが流産しなきゃいけないの」「私のお腹はそんなに居心地が悪いの?」そんな気持ちでいっぱいでした。
しかしいくら落ち込んでも妊娠できるわけではなく、少しでも早く精神的、体力的にも回復することが次の妊娠への近道だと考え直し、また河村先生の治療を続けました。

(3度目の妊娠)
  そして昨年12月、3度目の杯盤胞移植で再度妊娠反応。
しかし今まで2度の流産経験がある私はかなりトラウマになっており、喜びよりも不安の方が圧倒的に大きくなっていました。そして私の不安は的中、また次の検診で「妊娠ホルモンの伸びが悪く普通の人の1/2〜1/3しかな
い。このまま順調に胎嚢、心拍が確認できればいいけど」と言われてしまったのです。
そのことを河村先生に連絡したところ「こういう不安定な時期だからこそ治療しましょう」と言って下さり、あわててたくみ堂に向かいました。
不安のまま悶々と過ごしていた日々でしたが、私の体調をチェックしながら「うん、大丈夫だよ、卵の力と自分の身体を信じて」と言ってくれた河村先生のその一言で、本当に精神的にも救われました。

そして無事心拍確認。その後もずっと鍼治療を続けていたお陰で、ほとんどつわりもなく、順調に現在5ヶ月目を過ごしています。
長年の不妊治療の間にはもちろん辛いこともたくさんありましたが、悪いことばかりではありませんでした。それは「夫婦の絆」です。「子供はその気になればすぐできるだろうし、まだいいよねー」とのほほんと過ごして
いた新婚当時より、この苦しかった4年間の方が夫婦としてとても充実していたような気がするからです。治療がうまくいかず悔しいときは一緒に涙を流し、そしてストレス解消においしい物を食べに行ったり、旅行に出か
けたり・・・
奇麗事に聞こえるかもしれませんが、同じ目標に一喜一憂しながらもお互いの大切さ、思いやりを再確認できたことは私達の中では大きな宝物になった気がします。
そしてその長い不妊治療の間、いつも明るく迎えてくださった河村先生、そしてスタッフの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

出産予定まではまだ先が長く不安もいっぱいですが、安産灸を続けて体調を整えていきたいと思っています。
今後もどうぞ宜しくお願いいたします。

 
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妊娠レポート2 (NO13)
世田谷区 45歳 鍼灸治療16ヶ月間 2005.12月出産 2006.2.21報告
私の妊娠レポート

河村先生

   お元気でいらっしゃいますでしょうか。
  十二月には、自宅までお電話いただき、本当に心強かったです。
  ありがとうございました。
  昨年末に無事、出産いたしました。
  すぐに御報告をと思っておりましたが、とにかく、不眠不休の
  育児体制になり、倒れる寸前状態で、御報告が遅れてしまいました。 

   この度、無事に、4000グラム近い大きな男の子を、
  自然分娩にて、出産することができました。
  45歳での出産でしたが、母子ともに、とっても健康で、退院後も、なんのトラブル
  もなく、早々と、体も回復いたしました。
  私にとっては、生まれて初めての妊娠、そして45歳での出産は、もう、奇跡としか
  いいようがないものでした。
  長い長い、不妊歴がありましたが、このような奇跡に導いて下さったのは、
  なにより、河村先生の治療と生活指導と、毎週いただいていた、ポジティブパワーの
  お陰だと思っています。
  ほんとうに、こころから感謝しています。ありがとうございました。
  今は、かわいい息子の寝顔に、涙が溢れ、本当に、奇跡がやってきてくれたんだなあ、
  と、幸せを噛みしめています。

  先生に治療をしていただいた時、私は、既に、43歳になっておりました。
  それまで、数多くの不妊治療をしていましたが、すべて撃沈。妊娠反応すら出たこと
  はありませんでした。
  もうだめなのかな…。何度、絶望に陥ったかわかりません。
  しかし、勇気をもって、最後の砦、のたくみ堂さんに、メールし、治療に通いだした
  とき、明らかに、明るい変化に、希望が持てた様な気がしました。メールには、「年齢
  のこともあり、急ぎましょう」、と言う先生の温かいお言葉がありました。
  病院通いで、疲れ果てていた私は、本当に、ほっとしたのを覚えています。

   私を、45歳の妊娠・出産に導いて下さった、河村先生のご指導は、自分の体を通し
  て、絶対に、素晴らしい効果のあるものであったと、確信しています。

  以下、私が、先生の御指導で実践し、効果を大きく感じたことを、御報告します。

  1 無農薬・玄米食。
  2 ごぼう汁による断食
   先生から聞いたお話。高齢になり、卵を産まなくなった鶏に、断食させたところ、
   まるで蘇ったように、卵を、一斉に生み出した。
   という、お話しに、ピンと来て実践しました。
   正直、治療前の43歳より、44歳のときのほうが、確実に、いい卵子が、取れ
   るようになりました。とっても、不思議です。
  3 びわの葉温灸

  4 安産灸
   これは、安定期に入ってから先生に、細かく御指導していただき、
   自宅にてやりました。
   先生は、「かわいい子が生まれるよ!」とおっしゃってくれましたが、
   (最初は、ホントかな?と思ってましたが…)
   正直、ほんとうに、可愛く(!)健康で、素直な子に恵まれました(笑)。
   おまけに、高齢にも関わらず、分娩台に上がって、たった4分の分娩!
   体重も体形も、退院一週間で元通りになり、すべて、順調。高齢出産のリスク
   を、心配していましたが、産後の回復もばっちりでした。
?
? この四つは、とっても大きく劇的な変化を、体にもたらしてくれました。 

   でも、なんといっても、一番大きな変化は、先生の鍼治療でした。
  毎回、先生は、「卵巣を若返らせてあげるね」、と言って、時間をかけて鍼をしてくれました。
  治療を始めると、生理がまったく変わり、体が、めきめき、みずみずしくなっていくように感じました。
  また、先生は、年齢が高すぎる私に、あなたのような人は、ポジティブだから、「こう
  いう人は、妊娠するんだよね」、と、言われ、なんだか、潜在意識に、絶対にいつか妊
  娠するんだ!というイメージが持てたような気がします。
  実は、こういった心の持ちよう、もしくは、ストレスのない心は、とっても大事なの
  ではないかなと、強く感じています。
  先生のところに通うのが、楽しくて、お顔を見ると、元気をいただけて、そんなパワー
  が、実は、妊娠というデリケートなことには、とても重要な気がします。
  やっぱり、リラックス!が大事なんですね。
  ワンクールの治療後は、一ヶ月に一回の治療で、作っていただいた体を、キープする
  よう頑張りました。体を作ることが、いかに大切なことか、身にしみました。

   結局、私は、何十回という(もう、数えきれないので、数えませんでした)不妊治療
  を経て、奇跡の妊娠が出来ました。
  40代の妊娠は、現実は、とっても、厳しいと思います。
  でも、自分の体の、潜在能力、もしくは、動物としての野生の能力を信じて、頑張れ
  ば、奇跡は起こるのだと思います。
  それを教えて下さったのも、河村先生です。

   本当に、先生には、お世話になりました。重ね重ね、心より、お礼申し上げます。
  先生、ありがとうございます!!!!!
  そして、子ども、と言う存在が、これほどまでに愛しく可愛いものだとは…。
  今だに、嬉しくて嬉しくて、毎日、泣いています!
  もう、出産しちゃったので、先生のところには、通えないのだと思うと、
  残念でなりません。でも、一人でも多くの方に、ベッドの順番が来ないといけないですものね。
  これからも、お体に気をつけ、ますます、すばらしい治療をお続けになられますように。
  本当に、いろいろとありがとうございました!

 
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妊娠レポート2 (NO12)
三鷹市 38歳 鍼灸治療9ヶ月 2005、11月妊娠 2006.2.19報告
私の妊娠レポート

河村先生、いつも大変お世話になっております。
  ちょうど1年前、去年の2月に初めて診ていただいたことを思い出すと、
  今妊娠5ヶ月目を迎えていることが本当に夢のようです。
  結婚して12年目、初めての妊娠に至った私のレポートです。
 
   実は私の婦人科通院は、結婚前から始まっていました。
  社会人2年目に無月経になり、不安に思いながらも様子見をしていたらあっという間に半年経過。
  さすがにまずいと思い診てもらったところ、ホルモンバランスが崩れているということで注射をしました。
  ただその時はそれほど深刻な数値ではなく、注射をしたら数日後に出血があるので
  それでリズムが戻るでしょう、という感じでした。
  実際その後数ヶ月は順調に生理がくるようになりましたが、また狂い始めると3ヶ月に1回というような周期に。
  調子悪いな・・・と思いながらも生理がこないわけでもなかったので
  それほど婦人科に通うことなく自分は生理不順なんだと思いながら数年が経過しました。
  まだ独身だったこともあり、ガタガタの基礎体温にもあまり危機感を持たずにいました。
  そうしたら、ある時突然仕事中に体中が熱くなって汗が吹き出るような症状が・・・。
  びっくりして病院で診てもらったら、異常なホルモン値になっていたのです。
  先生は「簡単に言うと、更年期と同じ症状だね」との事。

  まだ20代半ば。何でこんな事になったのだろう??と呆然としたことをよく覚えています。
  その後まもなく結婚。
  夫には隠しておくのも心苦しく、結婚前に自分の症状を話しました。
  まだ二人とも20代ですぐに子供が欲しいという気持ちでもなかったので 通院を続けながら、
  それでも30歳までに一人産めたらいいな・・・くらいに考えていました。
 
   結婚後通院してた病院では、「仕事を辞めて結婚生活を始めることでホルモンバランスが変わることもあるので
  諦めないで治療していきましょう」、と不妊外来の先生に言われ、その気になっていました。
  カウフマン療法を数ヶ月して、排卵を促すもののなかなかいい結果が出ません。
  OL時代の仕事は退職していましたが、結婚後も派遣社員でフルタイムの仕事をしていましたので
  通院の日は午前休みをさせてもらうというスタイルで、特に進歩のないまま次の周期、次の周期と
  わずかな期待を胸に治療を続けました。
 
   3年間勤務した会社が移転するのに伴い転職をして、その際に新しい職場の通勤途中にある産婦人科に転院しました。
  そこでは初めて排卵誘発の注射を2週間くらい毎日打つ治療をしてみましたが、
  (体への負担が大きい上に、連日の注射をしても私にはあまり効果が期待出来ないと以前言われていたので
  それまではしていなかった)
  卵胞の成長は見られたものの、やはりうまく排卵できず・・・
  あなたの場合、これ以上強い刺激を与えても反応できないだろうと言われました。
  この頃、不妊の本で見つけた中国漢方の煎じ薬を飲んでみようと通ってみたこともあります。
  真っ黒な、なんとも苦い煎じ薬を2年近くは飲み続けてみました。
  ホルモン剤に頼らなくても生理がくるようになったり、体調がいいような感じはありましたが
  結局目立った効果はなく、高額な費用が負担になってきて止めてしまいました。
 
   実はその後数年間は、あまり積極的に治療をしなかった期間があります。
  夫の仕事の関係で海外に同行する機会も度々ありましたし、
  友人たちが着々と結婚後出産して育児に専念していく中で、
  仕事を続けながら自分は夫と二人の生活を充実させていければいいかな、と考えるようになったのです。
  数冊になっていた基礎体温表や不妊の雑誌等もその頃全部捨ててしまい、
  諦めの中にも、私は私・・・と意外にポジティブにいられました。
  ただ、相変わらず生理は不順。更年期の症状がひどくなると婦人科に頼らざるを得ず・・・でした。
 
   今から4年前、夫の仕事で1年の半分を海外で生活するという機会が2年続けてありました。
  1年目の滞在時は、その前に特に通院をしていない時期だったのでそのまま海外へ行き、
  最後の1ヶ月間くらい、ほてりや発汗がひどくなりとても焦りました。
  帰国後すぐに婦人科へ行き、カウフマン療法をまたしてみることになって、ホルモン剤を継続して飲むようにしました。
  そして半年後、排卵するかチェックする予定でいましたがその前にまた海外に行く事が決まり
  半年飲む予定だったホルモン剤を海外滞在分も貰ってから出発しました。
  ホルモン剤さえ飲んでいれば更年期の症状は抑えられ、規則正しく出血がある・・・
  体調をコントロール出来る反面、私はこのままあと何年間こういうことを続けないといけないんだろうと不安でした。
 
   2度目の海外滞在から帰国後、通っていた病院に行くと臨時でいらしていた、初めてお会いする先生でした。

 「年齢を考えるとかわいそうで言いにくいんだけど、あなたの症状は早発閉経と言わざるを得ない。
  更年期の症状が辛いなら、ホルモン補充を続ければ生活には全く困らないわけなんだけど
  補充を選択すると、もう妊娠のチャンスはない。もしまだ妊娠の希望を持っているなら、最後に不妊専門医院に
  行って診て貰ってからにしたら?でも、最初から無理と言われるかもしれない数値だけど・・・」
  早発閉経にならないように・・・という話は以前の病院でも聞いたことがありましたが
  いきなりこう言われ、あーついにきたか!と思ったと同時に、じゃあそうしようと何故かその場で決断していました。
  卵巣自体の機能が落ちているので、どんなにIVFの技術の良い医院に行ってもあなたは無理だろうと以前言われ
  有名な不妊専門医院の話を聞いても、行ってみようか・・・と思った事がありませんでした。
  でも、この時その場で紹介状を書いてくれ、私はすぐに新宿にあるクリニックに行ってみたのです。
 
   初診の際、内診で「あー卵巣がもう働いてないね」と言われました。
  これまでも数え切れないくらい内診をしてもらってたのに、今まで言われなかったのは
  どの先生も気の毒がってくれてたのかな・・・と思いました。
  思った通り、というか転院前の先生に言われた通り、
  「あなたほどFSH、LH値が高いとまず排卵が難しいだろうな。ここに来たから妊娠出来るということではないので
  まあ2,3周期様子をみて出来ることはします」という説明を受けました。
  とにかく指示どおりホルモン剤を服用し、生理後はクロミッドを飲み、定期的に卵胞のチェックに通いました。
  しかし、2,3周期と言わずもう少しもう少しと粘った半年後まで、卵胞の姿が一度も現れない状況が続きました。
  半年経過した一昨年の年末、
  クリニックの先生から「これ以上続けてもあまり意味がない」と言われました。
  不妊治療はお金も時間もかかります。現実的に卵胞も出てこないのだから、
  これ以上頑張りようがないのは自分でも納得でき、先生のコメントを冷静に聞いていました。
  ただこれまで10年以上婦人科通院をしてきた私は、何となく半年で切り上げるのは早いような気がして
  「このままの状態が続いても、ここに1年は通ってみたい」とお願いしました。
  年が明け、あーあと半年か・・・と思いながら過ごしていましたが
 
   ある日、半年なら何か今までにしたことのない事をしてみようかな・・・という気になり
  ネットで東洋医学系の治療を探してみようと思いつきました。
  そして、長くなりましたがやっとここで「たくみ堂」にたどり着きます。
  初診の申し込みをしてから、しばらく経った頃先生からメールで連絡をいただき
  去年の2月に初めて鍼を体験しました。
  河村先生も早発閉経と言われて来た私の状況に
  「難しいかもしれないけど、継続して鍼をすることで体質改善がすすめば、可能性がでてくるでしょう。」
  というような事をおっしゃって下さったと思います。
  またその時に「効果が出てくるとしたら6ヶ月くらいかかるかな」と目安を話して下さり
  自分が不妊クリニック通院のリミットにした時期とちょうど同じくらいになるな、と思いました。
 
   それから、毎週1回の鍼治療が始まりました。

 自宅からたくみ堂までは、通院が便利なわけではありませんでしたが
  とにかく自分にはこの半年しかない!という思いと、鍼の後の全身が軽くなるような感じが心地よく
  治療の為の通院というよりは、週に一度の楽しみという感覚で続けました。
  以前からのひどい肩や首のこりがだんだん楽になっていくのは実感できましたが
  卵巣機能への効き目というのはそうわかるものでもなく・・・
  3ヶ月経った頃、クリニックで採血後のFSHの数値に何か変化があるか?と聞いてみました。
  答えは「特に変化ないですね。高いままです」でした。
  鍼を始めてからも一度も卵胞が現れることはなく過ぎ、いよいよだな〜と思い始めていました。
  でも、鍼の際に河村先生に「何か私、変わってきましたか?」と聞いてみたら
  「お腹がやわらかくなってきているし、体格もしっかりしているので、可能性はあると思いますよ」と励まして下さっていました。
 
   そして、いよいよ治療のリミットとしていた周期がめぐってきます。

 たくみ堂の施術をスタートしてから5ヶ月過ぎくらいの時期でした。
  なんと!突然卵胞が現れて順調に成長し、初めて採卵する!ということになったのです。
  本来そこのクリニックに通院してる人にとっては、採卵は最初の段階で、そこに至るのは問題ないことだと思いますが
  私には1年かけて、やっと初めてたどりついた「採卵」でした。
  しかし、ワクワクしたのはほんの一瞬のこと、結果は空胞でした。
  初採卵後の先生のお話で「1年通ってやっと1回採卵できたけど、次はまた1年後かもしれない」
  と、一気に滅入るようなことを言われましたが、
  とにかく卵胞が出てきたことで治療をもうしばらく続けることになりました。
 
   治療打ち切りの前に卵巣が意地を見せただけなのか、また私に採卵のチャンスはめぐってくるのか・・・

 その後も経過を河村先生に伝えながら、週1回の鍼を続けていきました。
  そうしたら卵巣の頑張りはその1回だけでなく、意外にも採卵のチャンスは次周期に順調にやってきたのです。
  こうなると、鍼によって卵巣機能が改善されてきたんだなと実感でき、
  内心ダメもとで通っていたクリニックも何だか期待して向かうようになりました。
  ただ、やはり長期間活動停止をしていた?卵巣からはなかなか卵子がでてきません。
  3ヶ月続けての採卵も空胞続きで、残念でした・・・の繰り返しでした。
  そして次の周期は、またなかなか卵胞が現れず、次の生理が始まってもいい位に日が経ってしまいました。
 
   頑張りもここまでかな・・・と思いながらも、クリニックでの採血の結果からまだ一応卵胞が出る可能性があると言われ
  その周期は長々ホルモンチェックに通いました。
  そうしたら、諦めかけてた頃卵胞が育ち始め、しかも初めて2個の採卵が出来ることになりました。
  結果、1つは空胞1つはちゃんと採卵が出来たのです!
  そして、そのたった1つの奇跡の卵がなんとしっかり受精し、3日後に移植を受けるに至ったのです。

  そしてその後の判定結果はなんと陽性でした。妊娠反応が出てからも、もともと早発閉経の体は
  極端に少ないホルモン量のため5日毎に黄体ホルモンの注射を受けに通い、
  毎日食後にホルモン剤の服用も続けなくてはいけませんでした。
  そして、たくみ堂では移植後からは、これまでとは違った施術をしていただき、
  自宅での補助療法も教えていただき、それをかかさず続けました。
  その結果、クリニックでは補充してもなかなか数値の上がらないホルモン値に首をかしげられながらも
  胎児は順調に育ち、通常9Wあたりで不妊クリニックを卒業するところを
  11Wまでホルモン補充を続け ました。そしてホルモン値は日増しに増え続け、ついに薬なしで正常値にまで回復し、
  不妊専門クリニックを卒業することができたのです。
 
   今は出産する病院に転院して、月に1度の妊婦検診に通っているところで
  自宅ではもちろん安産灸を続けています。
  20代前半で無月経になってから、長い長い婦人科とのお付き合いでしたが
  正直なところ、私はもう妊娠することはないだろうとつい最近まで思っていました。
  それが、後悔しないために転院した不妊クリニックと、ついに追い込まれてラストチャンスのつもりで始めた鍼治療のおかげで
  自分には体験することがないだろうと思ってた妊娠を実現できたのです。
  今まで卵胞も何も映ってない超音波画面を繰り返し見ていた私が
  今はお腹の上からの映像で胎児が動いてる姿を見ているなんて、まだ現実なんだろうか?と思うくらいです。
  クリニックの卒業時に「まさに奇跡の妊娠」と繰り返し言われましたが
  日本屈指の不妊治療の技術を持っているところで、そう言って送り出してくれた奇跡を起こしてくれたのは
  たくみ堂での鍼治療のおかげ以外の何ものでもないと思います。
 
  まだ今が出産までの折り返し点。無事に出産できる日まで、これからもよろしくお願いします。
  本当にありがとうございました。

 
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妊娠レポート2 (NO11)

品川区 37歳 鍼灸治療6ヶ月 2005.6月妊娠 2005.10.19報告
河村先生。

   先日の安産灸の際は、本当にありがとうございました。
  ちょうど1週間後に帝王切開になります。名前も決めました。無事に赤ちゃんの顔を見たら、また連絡します。
  本当にありがとうございました。以下は、ずいぶん長目ですが私の妊娠レポートです。よろしくお願いします。
私の妊娠レポート

予定帝王切開の日まで、あと1週間(妊娠37週での出産)になってしまいました。赤ちゃん用の布団やベビーバスが届いたり細々したものを買いそろえたり、今のうちにやっておいたほうが良いことなどをして過ごしてます。  はじめて、たくみ堂に伺ったのが2004年の4月です。10月まで週1回通って、そして12月にICSI(顕微受精)で授かりました。
子供が欲しい!と思っていた時期の長さに比べて妊娠期間は、あっという間でした。にょごにょご・ぐるぐるの胎動とも、
もうお別れかと思うと、ちょっと寂しいような気持ちがするから不思議です。

 私の妊娠レポートは、「そこまでやる?!だって、ぜったいに赤ちゃん欲しかったんだもん」と題して、
たくみ堂でしていただいた治療やアドバイス以外にも、漢方、そして占い、方位学・風水、六星占術、などなど、
河村先生にお話ししてなかったことも、書いちゃおうと思います。
長くなりそうな気がしますが、楽しんで読んでいただければ幸いです。

さて、話しは、10年ほど前に逆のぼります。当時、私は離婚してから数ヶ月。なんとなく仕事も生活のリズムも整った頃でした。
35才か36才の頃です。仕事関係の方が「面白い店があるから」と連れていってくれた青山の某スナック
(?)そこは、ゲイのおじさんがマスター(ママ?)をしている謎のお店。
マスターは、別に女装してるわけではなく、パンチパーマの下町おばさんのような風貌のおじさんでした。
そのマスターの占いが当たる!というのです。手相を見ながら、直感霊感で、人の生き死にまでも
(時には)言い当ててしまうらしい。その日は、とくにそういうつもりではなかったのですが、ノリで私も見てもらうことになりました。私の手相を見ながらマスターいわく「アナタは40才から人生が変わるからね。子供欲しかったら、
それまでに産みなさい」「え〜、そうなんですか?」そして隣のテーブルの占い目当てらしいOL2人組のほうを見ながら
「彼女達は、普通の人生。でも、アナタはちがう。いろんなことが起きて面白いからいいじゃない。わかるでしょ?」と。
ふ〜む。確かにずっと自由業で生きてきた私。
離婚もしたし、これから先のこともまるで予測できないし。そして、その時には40才までまだ数年あるし、
あまり気にしなかった「子供欲しかったら40才までに」の言葉が、月日が経つにつれ、ず〜んと心に沈みこむことになって行くのです。

  いま思えば、確かに40才から私の人生変わりました。ペンネームを変え新しい表現活動に着手しはじめたのをきっかけに、金銭的に成功したわけではないですが、気がつけば、あるシーンでのリーダー的な存在になっていました。
なので当たってたわけです、マスターの予言。でも、37才、38才、39才と妊娠のチャンスどころか、
彼氏さえいない状態・・・。う〜ん。のしかかる「40才までに」の言葉。
困ったもんです。そして、とうとう私はシングルのまま42才を迎えてしまいました。
「絶対、幸せになりた〜い!子供がほし〜!」と心で叫ぶ日々。さて、そこで方位学(気学ともいいます)の登場です。
以前から、とくに方位専門の友人の占い師がいて世話になってました。なんせ、自由業だし、天才じゃないし、
自分だけの力でどうにかなるんて思えない。運も才能のうちというなら、運はもらいに行かなくちゃ!というわけで、
吉方位旅行はけっこうしてました(効果あるんですよ、これが)。そして42才の8月にアドバイスに従って引越
(偶然にも、たくみ堂から徒歩20分の場所っだったんです)。そしたら12月の終わりには、
今の夫が友達から「白馬に乗った王子様」に変身してくれちゃったのです。
ひひ〜ん。私は電話で彼氏未満だった夫に言いました。「私は、もう年だし、普通の彼氏とか、同棲とかは、いやなの。
私の子供の父親になってくれるんならつき合う」って。その時、30才でそんなことをまだ考えたことがなかったらしい夫は、
一瞬絶句。そして「今までそういうこと考えたことなかったから・・・ちょっと待って」と答えました。
それから数日後、「パパになる」というメールが届きました。やったあ!
さあ、それから私の妊娠めざして一直線の日々が始まったのです。
(私が12才年下のハンサム君をGETした事を知った友人達が、それまでちょっと冷ややかな態度で見ていた吉方位詣でにバタバタと本気で取り組み出したのは言うまでもありません)

  私は1月生まれなので、すぐに43才になってしまいました。当然、取り組んだのが「排卵日にがんばる!」です。
そして、がんばりつつ、ネットで検索、本屋で立ち読み。
この年令での妊娠がなかなか難しい事が少しずつわかってきました。たまたま本屋さんで漢方による不妊治療診療所、
玄0堂の院長先生の本を見つけ予約をしたのが43才の春(2003年)。とても混んでいて初診に行けたのが5月でした。
「年令的に難しいけれど、がんばりましょう。お腹の状態が良くなるのに1年半だな」というのが院長先生(大先生)の診断でした。冷えと、胃に水分が多い、下腹部が少し固い・・・とい う事でした。それから毎日、漢方薬を煎じる日々。
そして相変わらず「排卵日にがんばる!」を続行。しかし結果は出ず。
玄O堂に通い始めて半年後の秋に、大先生の息子さんの若先生のすすめで高度生殖医療を行うクリニックへ通い始めることになりました。(大先生は基本的に、排卵誘発剤などを使った不妊治療を認めてくれませんが、
若先生は「年令の高い人はあとで後悔しないように何でもやったほうがいい」という事で紹介状も書いて下さいます)
というわけで、43才の秋に私はいわゆる不妊治療専門のクリニックに通い始めるようになりました。
正直言って、内心「自然妊娠は無理かも」と思い始めていたころなので、ほっとしたことを覚えています。
クリニックでは、さまざまな検査(今までほとんど受けたことなかったので)とタイミング指導から始まって、
来月は人工授精をしてみますか?というところで、新年を迎えました。年があけるとすぐに私は44才。
あせる心。なので、また検索するうちに、通っていたクリニックの先生が独立なさって私の住処の隣駅に
クリニックを開院したことを知り、「近い方がいいし、きっとまだそれほど混んでないはず」と思って転院。
予想は当たって、前のクリニックでは5分診療という感じだったのが今度は、治療の進め方の相談も納得できるまで
ゆっくり話しが出来るようになりました。

  2月に初人工授精。撃沈。3月は休んで4月に初採卵。2つ卵胞が出来ていたにもかかわらず、空っぽ。
さすがにショック。けれど、幸運なことに私は同じ4月から、たくみ堂に通うようになっていました。
予約問い合わせのメールをすると、すぐに返事を頂いて「近所のようだから、急にキャンセルがあった時に連絡するけど
来れますか?」とのこと。それでも、なかなかタイミングが合わずに、1ヶ月ほどはかかったような気がします。
空砲だった時は通い始めて2回目か3回目。「空っぽだったんです」と思わず、ぽろりと泣いた私に
「泣かなくて大丈夫だから」とティッシュで涙を拭いてくださった河村先生。私は見た目がかなり若いのですが、
「お腹も若いですよ」と言って下さいました。「だけど、年令による子宮の固さはもちろんあるので。それを取っていきましょう」
そして「今通ってるクリニックも良いと思うけれど、年令の事を考えたら転院もいいかもしれない。強制はしないけれど
加0クリニックもいいと思いますよ。なんせ持っている症例の数が他とは段違いだから」とのこと。
その頃、通っていたクリニックの雰囲気が気に入っていた私は、あまりはっきりしたお返事をしなかったような記憶があります。
もちろん、しょうが温灸・びわの葉温灸はすぐに始めました。(縄跳びも時々)「あなたみたいなタイプに向いてるから」
と軟蘇の法も教えていただきました(確かにこれは、私にぴったりの方法でした。すぐにイメージ出来て楽しかったです)
しかし、5月、7月と今度は採卵出来たにもかかわらず、受精せず。顕微しても受精せず。さすがにちょっとめげた私。
そして8月に入籍。なぜか夫がきゅうに「漢方と鍼以外はやめなさい」と突然言い出して、
8月も採卵してもらうつもりでいたのに断念。
「夫にダメって言われました」と治療の際に河村先生に話すと「う〜ん、でも最後は女の人の意見が通る事になるから
大丈夫だよ。すぐにまた再開できると思うよ」とのこと。そうでしょうか?そうだといいなあ・・・と思いながら
引越と挨拶回りで2004年の夏は過ぎて行きました。

 そう、引越。もちろん、吉方位への。私と夫のそれぞれの吉方位が一致する場所へ一致する時期を選んで。
(方位は九星で見ます。ちなみに私は五黄土星。夫は二黒土星。)
六星占術(もしくはゼロ学。このふたつは基本的に同じです)の運気のチェックも忘れずに。エリアが決まったら
(不動産屋さんは方位を気にするお客さんに慣れているので、この範囲でさがしてると話しても変な顔はされません)
物件チェック。良さそうな間取り図を集めて、これまた前々からお世話になっている中国子平学の先生の所へ。
間取り図を見てもらい「これ、これにしなさい。珍しいぐらい良いよ。直す場所がない」と選んでもらった物件を新居に決定。
そして「子供が欲しいんです」と言うと、どの部屋を寝室にするといいか、枕の位置も、そしてカーテン、カーペット、布団
カバーは、ベージュから明るめの茶色で統一しなさいとのこと。もちろん、やらない理由はないので、すべて実行。
どうせ同じお金を出して買うんだったら「良い」と言われた色を選ぶべし。どうせ同じお金をかけて引っ越すなら、
良いと言われる方位に行くべし。どうせ、同じお金を払って旅行に行くのなら良いと言われた方位や時期を選ぶべし。
なので、親戚への挨拶回りもすべて、方位と日にちを選んで行きました。
まあ、夫がこういうこと嫌いじゃない人(どっちかというと好き)なので、すごくスムーズに事が運んだんですけど。
とにかく運をかき集める日々。そう、そういえば、生理の様子がいつもと違っていてびっくりしたのもこの頃。
「先生、生理がネバネバしてて変なんです・・・」というとなぜか河村先生はニコニコ。
「いらない物(U血)が出てきた証拠だよ」って。

  そして秋に入ったころ。ある日、帰ってきた夫が言いました。「おふくろに言われたんだけど。やれることは、
何でもさせてあげなさいって。クリニックに通わせてあげなさいって。」義母さんの妹さんが、子供に恵まれなかったこと、
そして、知り合いの娘さんが加0レディスクリニックに通院を始めたらすぐに授かったことなどなどがあって、
義母さんは夫に話してくれたのです。いえい!やった!感謝!「お母さんに言われたら、すぐに意見が変わるんだもんなあ・・・」って少し思いましたが、まあ、それはさておき。河村先生に話すと「ほらね、言ったとうりでしょ。
こういう事は女の人の意見が通るんだよ。本能だからね。男は結局、従うことになってしまうんだよ。」とまたニコニコ。
「今度は加0さんに行きます」「うん、それがいいよ。」そして10月。私にとって六星占術で言うところの
達成の年の再会の月に加0クリニックに通い始めました。

その同じ10月にはナチュラル会がありました。骨盤の歪みを直す方法など、いろいろなお話しがありましたが、
なかでも印象に残ったのが「宿便出しのゴボウ汁断食」そして、無農薬・減農薬の食材を取ること。「さゆり米」
という完全無農薬のお米のこと。私は、何年も前から玄米にして、お肉もほとんど食べない食事だったのですが、
無農薬・減農薬については、じつはあまり気にしてなかったのです。
さっそく隣駅にある自然食品屋さんへ。そしたら、あるじゃないですか!さゆり米。
ほんとに、ねえもっと早く気づけよって感じですよね。もちろん根菜等といっしょに購入。
そしてなるべく外食の約束等が入っていない週を選んで、「宿便出しのゴボウ汁断食」を決行しました。
出る出る出る!それに、ひもじくない!どころか体が軽くて楽しい!治療の際に先生に「どれくらい続けたらいいですか?」
と質問したところ、「やめどきは自分でわかるよ」との答え。そのとうり、約1週間続けた頃に、
トイレの際に指先の細胞のすきまの悪い物まで出たような、じ〜んとした痺れるような心地良さがあって
「あ、これでいいんだ。」と納得して普通食に戻りました。そして10月いっぱいで、たくみ堂の治療も
「おなかはだいたい出来上がってるからね、あとは教えたことを続けなさい」
という河村先生の言葉に送られて卒業しました。

11月のはじめ(44才10ヶ月)に加0クリニックではじめての採卵。4個取れましたら1つは未成熟卵ということで、
1つに通常の受精を、2つに顕微受精を試みました。受精確認の電話をすると「残念ながら受精しませんでした。
つきまして培養士から今後の治療に関して説明がありますからいらして下さい」とのこと。
あ〜、また受精しなかったんだ・・・ショック。そして翌日の培養士さんからの説明がさらにショック・・・。
加0クリニックの場合、顕微受精の受精率は年令に関係なく90パーセント以上であること、
私の場合、何らかの理由で受精のスイッチが入らないまれな症状であること、次回は、
受精を促すために顕微を行ってから弱い電流を流す処理をしようと思うこと・・・などをとても丁寧に説明してもらいました。
「世界いちの技術のウチの培養部の人間がやりますから」とも。説明も状況も本当に納得、だからよりいっそうのショック。
「だから今まで1度も受精しなかったんだ・・・受精しなきゃ、先にすすめないのに。はあ」

しかし、あきらめるわけにはいきません!それに、どうしても「子供を持たない人生」がイメージできないんですよね。
それは、ずっと若い時からそうだったんです。河村先生にもメールし、励ましのお返事をいただき、改めて、
たくみ堂HPの妊娠レポートを読むと43才で授かった方が「養命酒」を飲んでいたという記述が!「命を養うお酒」
ですものね、もちろんすぐに買いに行きました。そして、もうひとつ、「あ!」と気づいたのが、食べている卵を有精卵にすること。無精卵とは持っている生命エネルギーが段違いのはず!養命酒と有精卵、新た2つの取り組みを加えて、
次回の採卵に備えることにしました。そして、じつは、もうひとつ。この頃に、仕事関係でおつき合いのある私の知り合いで
いちばんのお金持ちというか、事業で成功してる女性に教わったのです。「神社とかにお願いに行った時はね、
過去形で言うといいのよ。叶うまで過去形で言うの。声に出してね。就職したい人だったら、
就職できてありがとうございました。恋人が欲しかったら、素敵な人に巡り会わせていただいてありがとうございましたってね」
へ〜、そうなんだあ。(誤解のないように書いておくと、この女性は、何かの宗教に特別に帰依してるとかじゃなくて、
昔から日本人が素朴に続けてきた信仰を大切にしているタイプの方です)。さっそくそれも実行しはじめた私。
加0クリニックからほんの少し新宿よりに行くと鬼子母神があります。帰りに必ず寄って、
まわりに誰もいない時を見計らって小さな声で(だってやっぱりなんか恥ずかしいじゃないですか)
「赤ちゃんを授けて下さってありがとうございました」って言うことにしました。お賽銭はいつも100円玉ひとつ。
このやり方の良いところは心がこもってなくても、本気で信じてなくても良いところです。とにかく口先だけで
良いから声に出して言えばいいんです。「言霊」ってやつですよね。

 とうとう12月の採卵の日がやってきました。無事に3個採卵。採卵の時に、なぜか「これで最後にしたいなあ」って、
思ったのを覚えてます。そして受精確認の電話。「3個とも受精してますよ、順調です。電流を流す処置をしなくても、
卵が自分の力で受精しましたよ!良かったですね」の声。やった!うれしい!すぐに夫に電話。
そして河村先生にも電話。ETする日の午前中に(ETは午後からなので)子宮を整える治療をしていただくことにきまりました。
「良かったね」「はい、うれしいです」私の愛しい卵ちゃん達は、グレード1が2個とグレード2が1個。
奇跡のようなプリプリの4分割受精卵になってくれました。グレード1と2をひとつずつ戻して、
残りの1つは凍結めざして培養を続けることになりました。そのときにもらった受精卵の写真は今でも大切に持っています。
だって、かわいいんですよ。すごくかわいく見えるんです(親ばか?)。

そしてETから2日後。正直に告白しちゃうと、私たちは5泊7日の新婚旅行でバリへ向かいました
(もちろん、吉方位ですとも!ええ!)無謀?どうなんでしょうね。でも決めてたんです。採卵の前から。
「絶対に卵をおなかに戻して一緒にバリに行くんだ」って。日本は真冬だけど、バリは常夏の島。
海でシュノーケリングして泳いだり、レンタサイクルに乗って転んだり、温泉に入ったり(バリには温泉があるんですよ)
バリダンスを見に行ったり。でも、ちゃんと、しょうが温灸と、養命酒と毛糸のパンツは忘れませんでした。
(バリで毛糸のパンツはいてる唯一の人だったことでしょう。なんせ赤道直下ですから)飛行機は冷房かきついから
ホカロンも持って行きました。南の島で楽しく過ごしたのが良かったのよ!
なんて今だから言えますが。今でもうっすら水着の跡が残ってます(おい、年を考えようよ、シミになるよ)。

 帰国4日目が判定日。なぜか前の晩に8度4分の熱が出ました。私は、ふだん嫌味なぐらい丈夫なんですけど。
熱なんか数年に1度出るか出ないか。でも、風邪とはちがう感じだし、高温期とはいえ高すぎるし。
バリと日本の気温差のせいかしら・・・などなど考えながらその日は眠りました。
でも熱のおかげで翌日の判定の事をあれこれ思い煩わなくてぐっすり寝れて良かったんですけど。
翌朝には、熱は7度少しに下がってました。駅までの道すがら夫に「妊娠してなかったら、ごめんね」って言うと
「うん、いいよ」って。
まず、採血。1時間待って9階の待合室から8階に降りると「お小水取って下さい」と言われてトイレへ。
それから診察室の前で待つこと3,40分。さすがにこのときはたまらなくドキドキしました。
どっちでもいいから早く教えてくれ〜って。とうとう名前を呼ばれて入っていくと、そこは院長先生のお部屋でした。
私のカルテをめくりながら、前に行っていたクリニックのことなどを質問のあと、
判定に使う白いプラスチックのカードを机の上に、ぽんと投げると「妊娠です。間違いない。1週間後に胎嚢確認に来て下さい。」と、ぶっきらぼうに。「ありがとうございます。」泣いちゃいました、私。カードにあいた小さな窓にはくっきりと「+」が浮かびあがってました。外に出るとすぐに夫にメールして、電話も何本か。もちろん鬼子母神にも寄って、
この日は本気で「赤ちゃんを授けて下さってありがとうございました」って言いました。

 翌週に無事、胎嚢確認。年が明けて6週目には心拍確認。判定時のホルモン値が通常の妊娠の倍あったとかで、
双子じゃないかって先生が両日とも、しつこいぐらい子宮内をさがしたんですが、赤ちゃんはひとりだけでした。
(あの発熱は、ホルモンの過剰分泌のせいだったのかしら)そしてすぐに私は45才になりました。加0クリニックを
卒業してお産をする産婦人科に初診に行った日の夜中に(9週目)突然出血。
その時は、もう本当にびっくりして半泣きでしたが、翌朝すぐに診察に行くと赤ちゃんは元気に動いていて、
出血も、半日ほどでおさまり、そして夫が「産まれてくるに決まってる。だって産まれてこなかったら、
この子はどこに行くんだ?」って言ってくれて、1週間は家で安静にしていましたが、その後は順調に過ごすことが出来ました。
つわりはだるくて眠くて辛かったけれど寒い季節だったので妊婦の特権!という感じで、ホットカーペットの上で
ごろんごろんと寝て過ごしました。

 凍結を目指していた卵ちゃんは、結局、最終段階で分裂が止まってしまいました。でも、それって着床した頃だと思うんです。「ちゃんとおなかにくっついたから、もう大丈夫だよ」って卵ちゃん同士がお話したような気がします。
そう、バリと東京で。

 私の「そこまでやる?!だって、ぜったいに赤ちゃん欲しかったんだもん」レポートはこれで終わりです。
17週になってはじめて安産灸をしていただきに、たくみ堂に行く時、auの角を入って路地を歩きながら
「夢みたいだな」って思いました。着くと河村先生が満面の笑顔と握手で迎えて下さいました。
45才の妊娠は、年令の高い人の励みになるよ」って。6月に伺った時には、去年いただいた「ハラ坊の朝顔の種」から
収穫した種をお返しすることが出来ました。青紫の花が今年は、赤ちゃんがはじめて我が家に産婦人科から戻ってくる
頃に咲くことでしょう。青山のスナックのマスターの予言の呪縛からも、やっと、サヨナラです。
赤ちゃんの名前も決めました。カップルの日々は終わり。これからはファミリーとしての日々が始まります。
本当に幸せです。ありがとうございました。すべての巡り会いに感謝します。

 
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